2010年04月09日

2010年4月7日オルタナ創刊3周年記念パーティにご出席頂いた方への御礼メール

4月7日のオルタナ創刊3周年記念パーティには
120人を超える読者、執筆者、株主、そのほか関係者の
方たちにお越し頂きました。

皆さまには心から御礼申し上げます。
その出席者の方たちに送ったメールを
下記に貼り付けます。良かったらお読み下さい。



皆さま

昨日は、オルタナ創刊3周年記念パーティにお越し頂き、
本当に有難うございました。

3年というのは長いようで本当に短い日々でした。
その間、笑いあり、涙あり、
――それも喜びの涙あり、くやし涙あり、と波乱万丈の日々でした。

それでも、なんとかやってこれたのは、社員、スタッフの努力と、
読者、株主、取引先ほかの皆さまの支援があればこそでした。

改めて、皆さまに心から御礼申し上げます。

「環境・CSRの雑誌なんて売れっこないよ」
「内容が難しすぎるし、誰に読ませたいの?」
「今の誌面では広告は入るわけないでしょう」
――創刊前も、創刊後も、いろんな人から、忠告を頂きました。

それでも、オルタナは間違いなく成功すると、僕は確信してきました。
(もちろん、これからも、です)

それは、昨日もそうでしたが、それでも熱く励ましてくれる方が
たくさんいたからです。皆さんの声援こそ、オルタナのエンジンです。

そして、環境やCSRに対する関心は、少しずつですが、
日増しに強まっていることを実感しています。

特に、学生を含む若い方たちと、リタイアされた年配の方たちです。
(これには理由があります。理由は、また、いつか述べます)

オルタナは、これからも、僕のライフワークとして、
死ぬまで(できれば、死んでからも=笑)、続けていきます。

どうか、今後ともよろしくお願いいたします。

さて、ここで厚かましいお願いをさせて下さい。

1)オルタナの定期購読、まだお済みでなければ、ぜひ
  よろしくお願いいたします!
2)皆さんの友人の中で、オルタナ的な価値観をお持ちの方が
  いらっしゃれば、ぜひ購読をお勧め下さい!
3)皆さんの会社やNPOが情報発信をする場合は、ぜひ
  オルタナにご一報ください!

これからも、オルタナは日本や世界の環境・CSRのために、
頑張っていきます。どうかよろしくお願いいたします。

posted by setsumo at 01:13| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月27日

ノーム・チョムスキーと「都合が良い神話」(ツバルについての考察その2)

一昨日、ツバルについての考察をブログにアップした。

これに補足するとすれば、
結局、最も重要なことは、
「地球が温暖化しているからツバルが沈んでいる」
あるいは
「ツバルは沈んでいないから、地球は温暖化していない」という
極端な二元論から脱却することだ。

環境問題は普通の人々には分かりにくい分野であり、
往々にして「簡素化された図式」がまかり通りやすい。

僕が今回、ツバルのことを取り上げたことで、
ひょっとしたら、温暖化否定論者が「それ見たことか」と
勢いずくかも知れない。

しかし、結局はそれも「簡素化された図式」に過ぎない。
そして「簡素化された図式」が積み重なると
「都合の良い神話」が出来上がる。

それが最も怖い。

3年ほど前に、渋谷文化PROJECTというサイトで、
ノーム・チョムスキーの『チョムスキーとメディア』に関する論評を
依頼されたことがあった。

そこから少し引用しよう。

――この作品はノーム・チョムスキーという人間を忠実に追いかけたドキュメンタリーとして非常に興味深い作品です。1992年に製作され、世界中の映画賞を受賞し、喝采を浴びた傑作が、15年後の今、彼が9.11同時多発テロの責任を問うブッシュ政権の末期に日本で劇場公開されるというのも、不思議な巡り合わせです。

――映画の終盤、チョムスキーが講演の中で強調した「convenient myth(都合のいい神話)」が印象に残りました。いま話題のアル・ゴア元米副大統領が出演する映画『invonvenient truth(不都合な真実)』と、まさに表裏一体のキーワード。つまり「都合のいい神話」の裏に「不都合な真実」が隠れているということです。

――そしてもう一つ、マスメディアは、『チョムスキーとメディア』の原題でもある「マニュファクチャリング・コンセント(合意の捏造)」のために事実を正しく報道しにくくなるという、映画全体のテーマについて、マスメディアで働いた自分の経験と照らし合わせながらじっくりと考えました。
(引用終わり)

「都合のいい神話」が出来上がるためには、いくつかの「簡素化された図式」が不可欠である。

私たちは、「簡素化された図式」に騙されないよう、常に注意していなければならない。

「騙されないでいること」は結構大変な作業である。

そのためにも、複眼的な情報武装が必要だと思う。






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2010年03月25日

「ツバルの面積がこの20年間でむしろ増えたこと」についての考察

沈みゆく国とされている「ツバル」の面積が、1984年からの20年で、実は3ヘクタール近く(2.8%)増えていることを知った。

そのきっかけは、イースクエア会長の木内孝さんがオルタナ最新号(18号)の連載で書かれている「私がツバルで見た真実」である。

記事の一部を抜粋しよう。

――事前に訪問したフィジーのスヴァにある、欧州からの援助機関で運営されている研究機関SOPAC。そこの中心的研究者アーサー・ウェッブさんの話だと、20世紀100年の海面上昇は17センチ。その一方で、1984年から2003年までの20年間で17島の面積は、海岸線の移動などにより2.8%大きくなっている。

メディアの記事では「ツバルは水没の途にあり、国土面積は縮小し始めている」などの記述もあるため、てっきり海岸侵食が相当進んでいるのかと思っていた。

一体、ツバルでは何が起きているのか。

それを解き明かしてくれるサイトに出会った。

環境省職員から(財)地球環境戦略研究機関(IGES)に出向している岡山俊直氏(在バンコク)がプライベートで作成したウェブサイト「ツバル写真集・地球温暖化でツバルは沈むか?」である。
http://ncc1701d.bufsiz.jp/index.html

詳しくは同サイトを参照して欲しいが、ポイントは下記の通りである。

1)ツバルのような環礁では、波の動きが砂浜の形成に大きく影響する。波によって砂が流される砂浜もあれば、波によって砂が堆積し、砂浜が広がっている場所もある。

2)今のツバルにおいて、温暖化の影響はごく僅か。少なくとも2009年現在において、ツバルに海岸侵食や内陸浸水をもたらしているのは、地球温暖化による海面上昇以外の要因がほとんどと言える。

3)最大の問題は、人口の増加、過密による生活排水や、適切に処理されていないゴミによる水質汚染が進んだ結果、有孔虫やサンゴなどツバルの砂浜をつくっている生物が
死に絶え、砂が供給されなくなり、海岸浸食が進みやすくなっていること。

環境省, 2009は、ツバルの現状について以下のようにまとめている。

「問題は、決して「海面上昇による水没」という単純なものではない」とした上で、現在のツバルが抱える危機は「グローバルな要因」と「ローカルな要因」の複合によってもたらされているとしている。

そして、「環礁州島の危機はグローバル・ローカル両方の環境ストレスが複合したものであり、現在発生している問題は主にローカルな要因によるものである。ローカルな要因によって、今世紀予測されている地球規模変動に対して脆弱性の高い州島になってしまっている」。

 つまり、現在主に発生している人口増加やそれに伴う経済活動という「ローカルな要因」が、将来予想される海面上昇を含む気候変動の悪影響という「グローバルな要因」に対して脆弱性を高めている、ということである。

このサイトを読んで、環境問題の難しさと、人智を超えた自然の営みの大きさを思い知らされた。

もちろん、ツバルの面積が増えているからと言って、気候変動やそれによる海水面の上昇を否定するつもりは全くない。

ただ、ツバルが持つ「複層的な現状」を理解しないで、単純にツバルは水没していると思い込むことは怖いと感じた。

そして、このことをオルタナの読者や、日本の市民に広く伝えることは、ジャーナリストとしての義務だと感じた。

これが今回、私がこのコラムを書いた理由である。

岡山氏のサイトでは、次のように結んでいる。

「海面が1m上昇したら日本はどうなるでしょう?ちなみに東京はこうなります(下図)」http://ncc1701d.bufsiz.jp/81/81.html

「ツバルが沈む時は、日本の都市だって壊滅的な被害を受けるのです。その意味では、ツバルも日本も運命は同じなのです」

海面上昇を、遠い南洋の島国やヴェニスのことだけだと日本人が考えていたら、大きな不幸である。

そうならないためにも、より多くの、複眼的な情報を皆さんに伝えていきたい。












posted by setsumo at 23:53| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月13日

映画「HOME 空から見た地球」第三回自主上映会

ドキュメンタリー映画「HOME 空から見た地球」
第三回 自主上映会のお知らせ(3月19日)

プロデューサーはリュック・ベッソン(『レオン』『フィフス・エレメント』監督)、監督は写真集『空から見た地球』の世界的航空写真家、ヤン・アルテュス=ベルトラン。

この映画は、同氏が1995年からUNESCO支援のもとでスタートした「空から見た地球」 (EARTH FROM ABOVE)プロジェクトをベースに、15年以上作品として温め続けてきたもの。同氏の写真集は24言語に翻訳され、累計300万部以上を売り上げるなど、世界中から支持されています。

地球上、世界各地の息を呑むような美しい自然景観と、洋上で漁をする人々や砂漠での開墾状況など、普段のメディアでは観る事のできない映像が満載。

そして、なによりもいままで知り得なかった厳しい地球の現実に対峙させられます。 自然を扱う映画は動物や生物の姿を描くものが多いですが、これは「地球が生きている」ということを肌で感じる映画です。

地球はわたしたちの家-HOMEであるにもかかわらず、その家の事をあまりにも何も知らない、ということを痛感させられます。

この作品をひとりでも多くの方 に大きなスクリーンで観ていただきたいと、『HOME-空から見た地球』上映委員会が立ち上がりました。

1月と2月に上映会を開催したところ、大変好評でしたので、 第3回上映会を3月19日(金)に催すことになりました。
心震える映像の数々に、ぜひあなたも出逢いに来てください。

上映委員会ブログ http://homechikyu.exblog.jp/

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日時:2010年3月19日(金)
19:00開場 19:30上映開始
場所:表参道「オルタナサロン」
http://www.alternasalon.com

入場料:500円

主催:『HOME-空から見た地球』上映委員会
定員:20名
観覧予約:件名に『HOME 』観覧希望とお書きのうえ、
     氏名、電話番号、 Email アドレスを添えて            home_sorakaramitachikyuu(a)yahoo.co.jp まで、
     (a)を@に変えて、お申込み下さい。

『HOME-空から見た地球』の詳細: http://home.asmik-ace.co.jp/
 
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posted by setsumo at 22:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

和菓子と「CSR」

いまオルタナ18号(3月30日発売)に掲載予定の環境・CSR経営 世界ベスト100社を編集中だ。

法政大学経営大学院の小川孔輔教授(マーケティング論)、作家の田口ランディさんらによる選考委員会が、100社の中から「アース賞」「ソサエティ賞」「ピープル賞」「ストア賞」「モノづくり賞」を選定した。

今回の受賞企業の一つに、菓子製造・販売の「たねや」(滋賀県)がある。

三越・銀座店にも店舗を置き、年商も170億円に達するが、その環境・CSR経営には定評がある。

この「たねや」のCSRはヨモギから始まったという。

同社は90年代半ばまで、ヨモギを他の地方から仕入れていたが、安全面からどういう経路に届いているのか、疑問を持った。ヨモギは身近な野草だが、河川敷や土手などに自生していることが多いため、農薬や除草剤を浴びる危険性も高いという。

そこで97年に自社農園での無農薬栽培を始めた。「私たちは菓子の作り手だが、原材料をすべて社内で調達はできない。でも『食』の原点である『農』は大事にしたい」という思いがあった(同社の冊子「たねやのあんこ」から)。今ではヨモギ栽培のための雑草取りから収穫まで地元のお年寄りの手を借りている。

日本財団による第3回CSR大賞受賞企業(09年11月)の地域推薦部門(CSR活動について、地域のNPOセンター等により推薦された企業)で銀賞を取ったのは、株式会社柏屋(福島県)という和菓子屋さんだ。

創業158年、薄皮饅頭で知られる「柏屋」は、地域の子どもたちから詩を募り、それを児童詩誌で地域に広める「青い窓」という活動を昭和33年から続けている。

ホームページには、「おかあさんのポケットは、家族みんなのもの。」「私たちの会社のポケットは、社会みんなのもの。お店も、朝茶会も、青い窓も、そして萬寿神社も…。」と書いてある。

日本財団は「企業は社会のために何ができるかを、この詩から学び、それを実践している企業姿勢は、取り立ててCSRと言わなくても、企業が社会に対してできることを当たり前に実践している」と評価している。

ここまで書いて、たねやや柏屋のようなお菓子屋さんが相次いでCSRの賞を受賞するのはなぜだろうか、とふと思った。

和洋菓子を問わず、お菓子屋さんとは、本来的に、地域密着型の商いの典型だ。今でこそ様々なチェーン店が増えたが、それでも一定規模以上の商店街なら、地元のお菓子屋さんが必ずある。

そして、お菓子屋さんは消費者との距離が極めて短い。

「たねやのヨモギ」で分かる通り、顧客の口に入るものをつくる責任感と、顧客の喜びをじかに触れる商いであるからこそ、顧客や地域社会との関わりを重視する経営者が多いのだろう。

ひるがえって、不二家、赤福餅など不祥事を起こしたお菓子屋さんでは、一時的にせよ、企業と顧客との距離が遠くなってしまった、と見てよい。

たねやの地元は近江商人の発祥の地でもある。
近江商人といえば「三方良し」が有名だが、それだけではない。

この地には「先義後利」という言葉がある。利益うんぬんより、まず先に人としての道である義理が大切。利潤はその後の結果とするものだ。

世間にも顧客にも誠実に、顧客第一の商いに精進するとともに、地域との連携を広げながら、常に地元との共生をはかる方向で事業展開しているという。

逆に言うと、顧客や地域社会との健全な関係がなければ企業としての存続が許されないという、極めて高い危機感が経営を裏打ちしている。

この考え方は、CSRの世界でいう「トリプル・ボトムライン」――企業活動の環境的側面、社会的側面、経済的側面の3つを問う考え方――や、「ライセンス・トゥ・オペレート」(操業許可)と共通するものを感じる。

企業や創業者が信用を築き上げることは一朝一夕では出来ない。だが、それを失うことは、一瞬にして、いとも簡単にできる。この辺りを、多くの和菓子屋さんが教えてくれている気がしてならない。
posted by setsumo at 21:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

「本業そのものがCSR」の危うさ パート2

「本業を通じた社会貢献」「本業そのものがCSR」の危うさ
パート2

前回のコラムでは、「当社は本業そのものが社会貢献です」という言い回しについて、若干批判的なトーンで書いた。

なぜ批判的だったかと言うと、このフレーズが、あまり社会貢献やCSR活動を積極的にやっていない企業の経営者の言い訳に使われるケースがあまりにも多いからである。

逆説的な言い方だが、社会貢献をしていない企業も存在しない。どの企業も多かれ、少なかれ、何らかの社会貢献はしているはずだ。

そうでないと、社会にその存在を許してもらえなくなる。

近江商人の「三方良し」は、「三方良しでないと商いが続けられない」との戒めだと私は理解している。

こうしたことを考えると、やはりわざわざ自分で「当社は本業がCSRです」という必要はなくなる。

本業とCSRの関係については、
「当社は、本業との関わりから、このような形の社会貢献・CSR活動をやっています」という形の文脈がもっとも理解されやすいだろう。

本業でなくても、創業の経緯や地域社会との縁など、企業と社会を結ぶコンテクスト(文脈)はたくさんある。

そのコンテクストが明確であればあるほど、その企業の環境・CSR活動は周囲からの理解を得やすくなる。明確でないと、理解されない。

オルタナ次号の環境・CSR経営大賞の選考委員会の議論でも、法政大学経営大学院の小川孔輔教授や、作家の田口ランディさんらと大いにこの辺りを議論した。

エコビジネスをやっていれば環境に貢献しているのか。
決してそうではないはずだ。

CSRの専門部署を社内に置けば、CSRをやっていると言えるのか。
そうではないはずだ。

改めて振り返ると、オルタナ7号(2008年3月発売号)で
「環境・CSR経営 世界ベスト77社」を掲載した時の基準が
今でも割りに使えると思っている。

それは

1)創業者や経営者自身が、環境問題や社会貢献などについて高い意識を持ち、使命感がある。
2)ブームや時流に流されず、他社にはできない決断ができる
3)環境や社会貢献の取り組みを社是やミッションで明文化している
――の3点である。

そして、先の選考委員会で意見が一致した点としては

1)大企業を全社的なCSRで評価することはなかなか難しい。
  大企業はプロジェクトベースで評価すべきである。
2)創業者や経営者がどんな理念を持っているかで、その会社の環境経営度・CSR経営度が決まる。
3)いかに崇高な理念を持っていても、会社の基本的な仕組みができていないと評価しがたい。
――の3点だ。

オルタナは、環境・CSR大賞などの誌面を通じて、社会にベストプラクティスを伝えることで、社会変革の一助になれればと思っている。

言い訳ではない、本当の意味での環境・CSR活動が日本でも活発になることを願ってやまない。





































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2010年03月06日

「本業そのものがCSR」の危うさ

「わが社は本業そのものが社会貢献、CSR(企業の社会的責任)活動です」という言い方をよく聞く。

企業が本業そのものを社会貢献と呼ぶとき、

1)製品・サービスを通じて利用者の利便性を高める/不便を解決する
2)雇用や納税などを通じて、地域社会(進出国)に貢献する
3)調達先、委託先、取引先などと利益を分け合い、地域経済に貢献する

――と、総じて三つの意味が込められていることが多い。

だが、残念ながら、これらはすべて「当たり前の」経済行為であり、ことさら「社会貢献である」と胸を張れるようなものではない。

1)の製品・サービスを通じて利便性を高める/不便を解決する――だが、すべてのビジネスは消費者・ユーザーのニーズに対応することによって成り立っているので(一部の官公需を除く)、利便性を高めるのは当然のことである。A社がそのニーズを満たすことができなければ、それに代わってB社が選択されるだけのことだ。

2)雇用については、一定規模以上のビジネスは一人でできない以上、人を雇うのはまず企業のニーズである。雇用によって社会責任を果たしているのではなく、あくまで企業側の都合で人を雇うのである。その証拠に、企業は業績が悪くなればリストラをする。社会的責任のためだけの雇用ではないことは明白だ。

納税については、個人に置き換えると簡単な話だが、「私は納税している」と威張る人はいない。納税は「教育」「勤労」と並んで、国民の三大義務の一つだからだ。法人も同じだ。他の企業と同じ責任を果たしているだけである。

3)調達先、取引先などステークホルダー(利害関係者)との利益配分についても、常識的な商習慣に基づく経済行為の一環であり、それをもって「社会貢献」とするのはやや無理がある。

ハーバード大学のマイケル・ポーターは、企業の競争力・収益性を高めるためにもCSR活動が重要であると説いた。ピーター・ドラッカーは21世紀のあらゆるビジネス・企業が社会的な存在になると予測した。

企業の社会貢献、CSR活動は突き詰めると、企業そのもののためなのである。

であるとすれば、なかなか軽々しく「本業がCSR」とは言えないのではないか。

では、何をもって企業の社会貢献と呼べるのだろうか。
どんな行為が企業の社会的責任を果たす活動と呼べるのだろうか。

もし本業がCSRと言ってよいビジネスがあるとすれば、
その業務が何らかの社会問題を解決することを明確な目的にしている
必要があろう。

もちろん、気候変動や貧困・格差、飢餓など地球規模の問題に力を尽くしている企業は数多い。それらを否定するものではもちろんない。

だが、「本業がCSR」であると自称するには、相当の自己抑制が必要であるはずだ。












posted by setsumo at 22:39| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月04日

学生と企業のコラボに思う−−シブカサとフ リスク

渋谷近辺の学生たちの活動「シブカサ」が今年3月から、食品会社のクラシエフーズ(東京・港区)と提携して、清涼菓子「フリスク オレンジミント」のキャンペーンを始めたようだ。

オルタナ編集部の階上にあるレストラン「カフェano」のカサ立てにも、いつの間にか、鮮やかなオレンジ色の傘が数本並んでいた。学生スタッフが持ってきたらしい。

もともとシブカサは、青山学院大学など渋谷近辺の学生たちが、「何か社会の役に立つことはできないか」と、忘れ物の傘を集めてシールを貼り、渋谷周辺のレストランやカフェに置き傘として配置を始めたのが最初だ。3年ほど前のことである。

スタッフには環境意識や社会起業意識が高い学生が多く、オルタナ編集部にも良く出入りしていた。

彼らとよく議論した。

「社会に役立つのは良いが、この事業が継続的に成るためには何か収益が必要だよ」
「シブカサに企業のシールを貼りたいのですが、その傘が捨てられてしまったら、逆に迷惑が掛かるかもしれないのです」
「なにか別の枠組みが必要かもしれないね」

おそらく、その答えの一つが、今回のフリスクとの提携だったのかもしれない。

ただ、フリスクのオレンジの傘は全くの新品で、「忘れ傘の再利用」という社会的な側面がなくなってしまったことは否めない。

オルタナ編集長の森としては、フリスクとの提携を否定するつもりは全くない。ただ、忘れ傘のリサイクルという立派な社会起業も忘れて欲しくない。

忘れ傘の収集は労力も掛るし、第一、収益が上がらない。

だからこそ、もう一段の知恵が必要なのである。

そこを突破できれば、NPOのグリーンバードのように全国に広がる可能性は十分秘めている。



posted by setsumo at 21:38| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

トヨタと国家と消費者の関係

「クレーマー」とは日本語で「企業に文句を言う人」という意味で使われている。時には「度を過ぎた」という意味も込められる。

しかし、これは完全な和製英語だ。

英語のclaim の原義は「(当然の)要求、主張、申し立て」であり、「度を過ぎた文句」というニュアンスはない。

この日本語と英語のギャップが、そのまま、消費者・生活者に対する日本企業の姿勢に表れていないか。

収束の兆しが見えないトヨタのリコール問題の根源も、この辺りにありそうだ。

日本企業は総じて、消費者からの苦情に対応する機能を向上させてきたとはいえ、まだまだ完璧ではない。

ひるがえって、日本の消費者・生活者は「長いものには巻かれろ」的な発想が多い。

口コミサイトや掲示板を見ていると、国家や大企業など大きな存在に対して批判をする人に対して冷ややかであったり、足を引っ張ったりするケースが少なくない。

そんな時に「クレーマー」という言葉を使って、企業に異様な文句をつける人の方が悪いという文脈がネット上にもよく現れる。

誤解を恐れずに言うと、今回のトヨタ問題を引き起こしたのは、日本の「長いものに巻かれる、おとなしい国民性」だったのかもしれない。

トヨタのブレーキ問題は、リコール騒動が起こる前から、ネットなどで話題になっていた。その時点で迅速な対応をしておけば、このような騒ぎは防げたかもしれない。

もちろん、これはトヨタだけの問題ではない。

行政も、消費者・生活者からの個別の苦情に対して、まだまだ腰が重い。司法も、行政訴訟や大企業に対する訴訟で、市民に軍配を上げるケースが残念ながら極めて少ない。

米国は行き過ぎた訴訟社会という一面もあるが、日本も威張れたものではない。乱訴を恐れるあまり、市民の声がなかなか裁判官に届かない状況が長く続いている。

消費者団体も存在感がなくなった。70年代には公害や環境汚染問題もあって、消費者運動や不買運動が盛んだったが、今ではほとんどがなりをひそめている。

「大企業や行政にたてつく生活者の方が異様だ」と見る風潮が根付いてしまった。

こうした状況が合いまって、日本企業は、消費者・生活者の厳しい監視の目にさらされることがない、生温い体質に陥ってしまった。

米国でのトヨタ批判は行き過ぎた点も多いが、日本企業にとっては、まだまだ体質改善が必要だろう。

今後、成長性が見込めない国内市場に代わって海外進出に成長の可能性を見出さざるを得ない日本の大企業にとっては、避けては通れない道だ。

その意味で、今回のトヨタ問題は良い教訓だ。

米国や中国で起きている騒動が収束すれば良いのではない。まずは日本国内の消費者・生活者の声を大切に受け止めて、改善する能力をさらに向上させるべきではないか。

そして、日本企業が消費者・生活者に対して、さらに真摯な態度がとれるようになれるかどうかは、実は企業だけではなく、消費者・生活者自身、消費者団体、そして行政、司法の手に掛かっているのである。

スターバックス・コーヒーがなぜ熱帯雨林を守ろうとするのか。
ウォルマートがなぜフェアトレードを進めるのか。その背後には必ず、消費者や市民団体の運動があった。

日本でも、消費者・市民が企業を本当の意味で動かす時代が近づいている。



























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2010年03月02日

ハイチ、「薬、ランプ、ハンマーが足りない」――駐日臨時大使

 1月12日にハイチ共和国を襲ったマグニチュード7.0の地震で、同国のプレバル大統領は2月、地震による死者が30万人に達する可能性を示唆した。2004年のスマトラ沖地震の犠牲者数20万人を上回ることになる。
 ハイチのジョン・クロード・ボード駐日臨時代理大使も東京で、最優先課題は感染症の予防であり、3月の雨期に感染症の拡大が大きな懸念だと指摘した。薬、ランプ、ハンマーなどの物資が圧倒的に不足しており、日本からのさらなる援助を求めた。同臨時大使の発言は次の通り。
 「1月12日の被災後、ハイチ政府は直ちに国際社会からの支援を受け入れました。被害を最小限に食い止めて復興するべく、努力しています」
 「最優先課題は感染症の予防です。熱帯の強風と豪雨から人々を守るための避難所、そして夜の安全のためのランプも足りません。未だに犠牲者の腐敗臭に悩まされている地区もあります。シャベルやハンマー、ミノといった、コンクリートを砕くための道具が不足しているために、瓦礫を小さくして撤去することができません」
 「首都のポルトープランス以外ではさらに深刻です。100床しかない病院が400人の負傷者を受け入れたというレポートがありました。300人は薬をあたえられただけ。薬のストックはあっという間になくなりました。ほかの町では60床の病院に400人の負傷者が。同じことが多くの町で起きています。犠牲者の冥福も祈るべきですが、生存者が生き延びることが優先課題です。座って愚痴をこぼし、泣いている余裕はありません」
 「犠牲者の数はさらに増えると予想されています。ポルトープランスから郊外へと移った人々の数は76万人で、さらに増えるでしょう。120万人もの人々が未だにテント暮らしです。テントは安全ではありません。雨季が迫っているからです」
 「私たちは、支援を表明している日本の皆さんに感謝しています。経済的、技術的、物質的、医薬的支援は、悲劇のトラウマへと立ち向かう助けになります」
 「最後に繰り返しますが、緊急に必要としているのは感染症流行の予防対策です。雨季には毎日多くの雨が降ります。ハイチは平坦な国ではないので、雨は平地に降るだけでなく山からも溢れて来ます。平地では溜まった水が病をもたらします。3月の雨季までにコントロールできなければ、続く6月のハリケーンシーズンには何が起こるか予想がつきません」(たかせ藍沙)
posted by setsumo at 23:59| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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