2010年11月01日

松下幸之助さんの「企業の社会的責任」

ふと編集部の書棚から「企業の社会的責任とは何か」
(松下幸之助著)を手に取った。

3年ほど前、松下電器(現パナソニック)の取材の時に
広報担当者からもらったものだ。

非売品で、昭和49(1974年)に出版されたものを
復刻したものだという。

CSR――企業の社会的責任という言葉が日本でも
話題になったのがわずか数年前だから、やはり
幸之助さんには先見の明があったということか。

いや、わざわざ英語でCSRと言わなくても、
日本の経営者は「社会的責任」をきちんと自覚していた
というべきだろう。

冒頭の章は「企業は社会の公器」。
「それぞれの企業が社会的責任を果たすべく
努力していくならば、それは社会全体の福祉の向上にも、
また企業自身の発展にも結びついてくると思います」

これは、ドラッカー『マネジメント』第16章
社会的責任はどこに生まれるか――
「現代の組織は、それぞれの分野において、社会に
貢献するために存在する。それは、社会のなかに存在
する。(中略)したがって、組織が社会に対して与える
影響は、それぞれが自らの存在理由とする社会に対する
貢献にどどまることがない」という記述と軌を一つにする。

昭和40年代という時代背景を映して、
「公害の防除と絶滅」という章もあった。

ここでは、
「自由な競争のもとに企業活動が営まれている自由主義
社会では、企業にとって世間の信用を失うということは、
すなわち競争に敗退することであり、いわば致命的な
ことです。もし、企業にその社会的責任に反するような
行為があれば、それは必ず世間の信用につながり、企業
自身に大きなマイナスになってはね返ってくるわけです」

とても明快な論理であるし、言わずもがな、である。
これは公害だけではなく、さまざまな企業行動の局面で
あてはまる問題だ。

なぜ、大企業ほど、コンプライアンスや企業倫理を言わ
なければならないのか。幸之助さんが生きていれば、
はがゆい思いをしたかも知れない。

「蛇口をひねれば出てくる水のように豊富に商品を供給
すべき」だという「水道哲学」は、先進国においては、
やや色あせた感があるが、BOP(ベース・オブ・ピラミッド、
途上国向けビジネス)の分野ではまだ生きるかも知れない。

この本は、40年後の今もなお、社会と企業の根本的な
関係を示唆してくれている。書店での販売を検討して
ほしい一冊でもある。(オルタナ編集長 森 摂)


posted by setsumo at 22:51| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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