2010年03月27日

ノーム・チョムスキーと「都合が良い神話」(ツバルについての考察その2)

一昨日、ツバルについての考察をブログにアップした。

これに補足するとすれば、
結局、最も重要なことは、
「地球が温暖化しているからツバルが沈んでいる」
あるいは
「ツバルは沈んでいないから、地球は温暖化していない」という
極端な二元論から脱却することだ。

環境問題は普通の人々には分かりにくい分野であり、
往々にして「簡素化された図式」がまかり通りやすい。

僕が今回、ツバルのことを取り上げたことで、
ひょっとしたら、温暖化否定論者が「それ見たことか」と
勢いずくかも知れない。

しかし、結局はそれも「簡素化された図式」に過ぎない。
そして「簡素化された図式」が積み重なると
「都合の良い神話」が出来上がる。

それが最も怖い。

3年ほど前に、渋谷文化PROJECTというサイトで、
ノーム・チョムスキーの『チョムスキーとメディア』に関する論評を
依頼されたことがあった。

そこから少し引用しよう。

――この作品はノーム・チョムスキーという人間を忠実に追いかけたドキュメンタリーとして非常に興味深い作品です。1992年に製作され、世界中の映画賞を受賞し、喝采を浴びた傑作が、15年後の今、彼が9.11同時多発テロの責任を問うブッシュ政権の末期に日本で劇場公開されるというのも、不思議な巡り合わせです。

――映画の終盤、チョムスキーが講演の中で強調した「convenient myth(都合のいい神話)」が印象に残りました。いま話題のアル・ゴア元米副大統領が出演する映画『invonvenient truth(不都合な真実)』と、まさに表裏一体のキーワード。つまり「都合のいい神話」の裏に「不都合な真実」が隠れているということです。

――そしてもう一つ、マスメディアは、『チョムスキーとメディア』の原題でもある「マニュファクチャリング・コンセント(合意の捏造)」のために事実を正しく報道しにくくなるという、映画全体のテーマについて、マスメディアで働いた自分の経験と照らし合わせながらじっくりと考えました。
(引用終わり)

「都合のいい神話」が出来上がるためには、いくつかの「簡素化された図式」が不可欠である。

私たちは、「簡素化された図式」に騙されないよう、常に注意していなければならない。

「騙されないでいること」は結構大変な作業である。

そのためにも、複眼的な情報武装が必要だと思う。






posted by setsumo at 16:55| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月25日

「ツバルの面積がこの20年間でむしろ増えたこと」についての考察

沈みゆく国とされている「ツバル」の面積が、1984年からの20年で、実は3ヘクタール近く(2.8%)増えていることを知った。

そのきっかけは、イースクエア会長の木内孝さんがオルタナ最新号(18号)の連載で書かれている「私がツバルで見た真実」である。

記事の一部を抜粋しよう。

――事前に訪問したフィジーのスヴァにある、欧州からの援助機関で運営されている研究機関SOPAC。そこの中心的研究者アーサー・ウェッブさんの話だと、20世紀100年の海面上昇は17センチ。その一方で、1984年から2003年までの20年間で17島の面積は、海岸線の移動などにより2.8%大きくなっている。

メディアの記事では「ツバルは水没の途にあり、国土面積は縮小し始めている」などの記述もあるため、てっきり海岸侵食が相当進んでいるのかと思っていた。

一体、ツバルでは何が起きているのか。

それを解き明かしてくれるサイトに出会った。

環境省職員から(財)地球環境戦略研究機関(IGES)に出向している岡山俊直氏(在バンコク)がプライベートで作成したウェブサイト「ツバル写真集・地球温暖化でツバルは沈むか?」である。
http://ncc1701d.bufsiz.jp/index.html

詳しくは同サイトを参照して欲しいが、ポイントは下記の通りである。

1)ツバルのような環礁では、波の動きが砂浜の形成に大きく影響する。波によって砂が流される砂浜もあれば、波によって砂が堆積し、砂浜が広がっている場所もある。

2)今のツバルにおいて、温暖化の影響はごく僅か。少なくとも2009年現在において、ツバルに海岸侵食や内陸浸水をもたらしているのは、地球温暖化による海面上昇以外の要因がほとんどと言える。

3)最大の問題は、人口の増加、過密による生活排水や、適切に処理されていないゴミによる水質汚染が進んだ結果、有孔虫やサンゴなどツバルの砂浜をつくっている生物が
死に絶え、砂が供給されなくなり、海岸浸食が進みやすくなっていること。

環境省, 2009は、ツバルの現状について以下のようにまとめている。

「問題は、決して「海面上昇による水没」という単純なものではない」とした上で、現在のツバルが抱える危機は「グローバルな要因」と「ローカルな要因」の複合によってもたらされているとしている。

そして、「環礁州島の危機はグローバル・ローカル両方の環境ストレスが複合したものであり、現在発生している問題は主にローカルな要因によるものである。ローカルな要因によって、今世紀予測されている地球規模変動に対して脆弱性の高い州島になってしまっている」。

 つまり、現在主に発生している人口増加やそれに伴う経済活動という「ローカルな要因」が、将来予想される海面上昇を含む気候変動の悪影響という「グローバルな要因」に対して脆弱性を高めている、ということである。

このサイトを読んで、環境問題の難しさと、人智を超えた自然の営みの大きさを思い知らされた。

もちろん、ツバルの面積が増えているからと言って、気候変動やそれによる海水面の上昇を否定するつもりは全くない。

ただ、ツバルが持つ「複層的な現状」を理解しないで、単純にツバルは水没していると思い込むことは怖いと感じた。

そして、このことをオルタナの読者や、日本の市民に広く伝えることは、ジャーナリストとしての義務だと感じた。

これが今回、私がこのコラムを書いた理由である。

岡山氏のサイトでは、次のように結んでいる。

「海面が1m上昇したら日本はどうなるでしょう?ちなみに東京はこうなります(下図)」http://ncc1701d.bufsiz.jp/81/81.html

「ツバルが沈む時は、日本の都市だって壊滅的な被害を受けるのです。その意味では、ツバルも日本も運命は同じなのです」

海面上昇を、遠い南洋の島国やヴェニスのことだけだと日本人が考えていたら、大きな不幸である。

そうならないためにも、より多くの、複眼的な情報を皆さんに伝えていきたい。












posted by setsumo at 23:53| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月13日

映画「HOME 空から見た地球」第三回自主上映会

ドキュメンタリー映画「HOME 空から見た地球」
第三回 自主上映会のお知らせ(3月19日)

プロデューサーはリュック・ベッソン(『レオン』『フィフス・エレメント』監督)、監督は写真集『空から見た地球』の世界的航空写真家、ヤン・アルテュス=ベルトラン。

この映画は、同氏が1995年からUNESCO支援のもとでスタートした「空から見た地球」 (EARTH FROM ABOVE)プロジェクトをベースに、15年以上作品として温め続けてきたもの。同氏の写真集は24言語に翻訳され、累計300万部以上を売り上げるなど、世界中から支持されています。

地球上、世界各地の息を呑むような美しい自然景観と、洋上で漁をする人々や砂漠での開墾状況など、普段のメディアでは観る事のできない映像が満載。

そして、なによりもいままで知り得なかった厳しい地球の現実に対峙させられます。 自然を扱う映画は動物や生物の姿を描くものが多いですが、これは「地球が生きている」ということを肌で感じる映画です。

地球はわたしたちの家-HOMEであるにもかかわらず、その家の事をあまりにも何も知らない、ということを痛感させられます。

この作品をひとりでも多くの方 に大きなスクリーンで観ていただきたいと、『HOME-空から見た地球』上映委員会が立ち上がりました。

1月と2月に上映会を開催したところ、大変好評でしたので、 第3回上映会を3月19日(金)に催すことになりました。
心震える映像の数々に、ぜひあなたも出逢いに来てください。

上映委員会ブログ http://homechikyu.exblog.jp/

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日時:2010年3月19日(金)
19:00開場 19:30上映開始
場所:表参道「オルタナサロン」
http://www.alternasalon.com

入場料:500円

主催:『HOME-空から見た地球』上映委員会
定員:20名
観覧予約:件名に『HOME 』観覧希望とお書きのうえ、
     氏名、電話番号、 Email アドレスを添えて            home_sorakaramitachikyuu(a)yahoo.co.jp まで、
     (a)を@に変えて、お申込み下さい。

『HOME-空から見た地球』の詳細: http://home.asmik-ace.co.jp/
 
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posted by setsumo at 22:20| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

和菓子と「CSR」

いまオルタナ18号(3月30日発売)に掲載予定の環境・CSR経営 世界ベスト100社を編集中だ。

法政大学経営大学院の小川孔輔教授(マーケティング論)、作家の田口ランディさんらによる選考委員会が、100社の中から「アース賞」「ソサエティ賞」「ピープル賞」「ストア賞」「モノづくり賞」を選定した。

今回の受賞企業の一つに、菓子製造・販売の「たねや」(滋賀県)がある。

三越・銀座店にも店舗を置き、年商も170億円に達するが、その環境・CSR経営には定評がある。

この「たねや」のCSRはヨモギから始まったという。

同社は90年代半ばまで、ヨモギを他の地方から仕入れていたが、安全面からどういう経路に届いているのか、疑問を持った。ヨモギは身近な野草だが、河川敷や土手などに自生していることが多いため、農薬や除草剤を浴びる危険性も高いという。

そこで97年に自社農園での無農薬栽培を始めた。「私たちは菓子の作り手だが、原材料をすべて社内で調達はできない。でも『食』の原点である『農』は大事にしたい」という思いがあった(同社の冊子「たねやのあんこ」から)。今ではヨモギ栽培のための雑草取りから収穫まで地元のお年寄りの手を借りている。

日本財団による第3回CSR大賞受賞企業(09年11月)の地域推薦部門(CSR活動について、地域のNPOセンター等により推薦された企業)で銀賞を取ったのは、株式会社柏屋(福島県)という和菓子屋さんだ。

創業158年、薄皮饅頭で知られる「柏屋」は、地域の子どもたちから詩を募り、それを児童詩誌で地域に広める「青い窓」という活動を昭和33年から続けている。

ホームページには、「おかあさんのポケットは、家族みんなのもの。」「私たちの会社のポケットは、社会みんなのもの。お店も、朝茶会も、青い窓も、そして萬寿神社も…。」と書いてある。

日本財団は「企業は社会のために何ができるかを、この詩から学び、それを実践している企業姿勢は、取り立ててCSRと言わなくても、企業が社会に対してできることを当たり前に実践している」と評価している。

ここまで書いて、たねやや柏屋のようなお菓子屋さんが相次いでCSRの賞を受賞するのはなぜだろうか、とふと思った。

和洋菓子を問わず、お菓子屋さんとは、本来的に、地域密着型の商いの典型だ。今でこそ様々なチェーン店が増えたが、それでも一定規模以上の商店街なら、地元のお菓子屋さんが必ずある。

そして、お菓子屋さんは消費者との距離が極めて短い。

「たねやのヨモギ」で分かる通り、顧客の口に入るものをつくる責任感と、顧客の喜びをじかに触れる商いであるからこそ、顧客や地域社会との関わりを重視する経営者が多いのだろう。

ひるがえって、不二家、赤福餅など不祥事を起こしたお菓子屋さんでは、一時的にせよ、企業と顧客との距離が遠くなってしまった、と見てよい。

たねやの地元は近江商人の発祥の地でもある。
近江商人といえば「三方良し」が有名だが、それだけではない。

この地には「先義後利」という言葉がある。利益うんぬんより、まず先に人としての道である義理が大切。利潤はその後の結果とするものだ。

世間にも顧客にも誠実に、顧客第一の商いに精進するとともに、地域との連携を広げながら、常に地元との共生をはかる方向で事業展開しているという。

逆に言うと、顧客や地域社会との健全な関係がなければ企業としての存続が許されないという、極めて高い危機感が経営を裏打ちしている。

この考え方は、CSRの世界でいう「トリプル・ボトムライン」――企業活動の環境的側面、社会的側面、経済的側面の3つを問う考え方――や、「ライセンス・トゥ・オペレート」(操業許可)と共通するものを感じる。

企業や創業者が信用を築き上げることは一朝一夕では出来ない。だが、それを失うことは、一瞬にして、いとも簡単にできる。この辺りを、多くの和菓子屋さんが教えてくれている気がしてならない。
posted by setsumo at 21:30| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月07日

「本業そのものがCSR」の危うさ パート2

「本業を通じた社会貢献」「本業そのものがCSR」の危うさ
パート2

前回のコラムでは、「当社は本業そのものが社会貢献です」という言い回しについて、若干批判的なトーンで書いた。

なぜ批判的だったかと言うと、このフレーズが、あまり社会貢献やCSR活動を積極的にやっていない企業の経営者の言い訳に使われるケースがあまりにも多いからである。

逆説的な言い方だが、社会貢献をしていない企業も存在しない。どの企業も多かれ、少なかれ、何らかの社会貢献はしているはずだ。

そうでないと、社会にその存在を許してもらえなくなる。

近江商人の「三方良し」は、「三方良しでないと商いが続けられない」との戒めだと私は理解している。

こうしたことを考えると、やはりわざわざ自分で「当社は本業がCSRです」という必要はなくなる。

本業とCSRの関係については、
「当社は、本業との関わりから、このような形の社会貢献・CSR活動をやっています」という形の文脈がもっとも理解されやすいだろう。

本業でなくても、創業の経緯や地域社会との縁など、企業と社会を結ぶコンテクスト(文脈)はたくさんある。

そのコンテクストが明確であればあるほど、その企業の環境・CSR活動は周囲からの理解を得やすくなる。明確でないと、理解されない。

オルタナ次号の環境・CSR経営大賞の選考委員会の議論でも、法政大学経営大学院の小川孔輔教授や、作家の田口ランディさんらと大いにこの辺りを議論した。

エコビジネスをやっていれば環境に貢献しているのか。
決してそうではないはずだ。

CSRの専門部署を社内に置けば、CSRをやっていると言えるのか。
そうではないはずだ。

改めて振り返ると、オルタナ7号(2008年3月発売号)で
「環境・CSR経営 世界ベスト77社」を掲載した時の基準が
今でも割りに使えると思っている。

それは

1)創業者や経営者自身が、環境問題や社会貢献などについて高い意識を持ち、使命感がある。
2)ブームや時流に流されず、他社にはできない決断ができる
3)環境や社会貢献の取り組みを社是やミッションで明文化している
――の3点である。

そして、先の選考委員会で意見が一致した点としては

1)大企業を全社的なCSRで評価することはなかなか難しい。
  大企業はプロジェクトベースで評価すべきである。
2)創業者や経営者がどんな理念を持っているかで、その会社の環境経営度・CSR経営度が決まる。
3)いかに崇高な理念を持っていても、会社の基本的な仕組みができていないと評価しがたい。
――の3点だ。

オルタナは、環境・CSR大賞などの誌面を通じて、社会にベストプラクティスを伝えることで、社会変革の一助になれればと思っている。

言い訳ではない、本当の意味での環境・CSR活動が日本でも活発になることを願ってやまない。





































posted by setsumo at 16:11| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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