2010年11月19日

セミナー告知>12月7日 民主党の環境政策に「喝」(山本良一・東大名誉教授)

<第4回ABCセミナー告知>12月7日 民主党の環境政策に「喝」(山本良一・東大名誉教授)

オルタナABCセミナー2010年度、
第4回は、民主党の環境政策に「喝」――という表題で、
東京大学名誉教授の山本良一先生にご講演を頂きます。

鳩山前首相の「25%」削減宣言から一年あまり。
その後、普天間問題や小沢一郎前幹事長の「政治とカネ」問題、
最近では尖閣諸島事件などに押しやられ、
政権与党のなかで「環境問題」のプレゼンスは一層下がっているようです。
最近では、「25%」を口にする議員がめっきり少なくなったとの声も良く聞きます。

山本先生は「温暖化地獄」シリーズ(ダイヤモンド社)で主張されてきた通り、
「本業すべてが環境に配慮されたものになっていなければならない」として
「絶対的環境経営」を主張されています。

セミナーでは、COP16(カンクン)が開かれるなか、
日本や世界が目指すべき環境政策と、
今後の方向性を山本先生に舌鋒鋭くご講演頂く予定です。
少人数でのセッションですので、直接、山本先生に質問されることも可能です。

山本先生と鳩山前首相は東大工学部で机を並べていた間柄だそうです。
その旧友のふがいなさも含めて、大沢親分亡き後、民主党の環境政策に
「喝」を入れて頂きます。

ABC会員の皆さまのほか、一般の方の参加も可能です。

−−−−−−−−−−−−−−

◆民主党の環境政策に「喝」

日時: 2010年12月7日(火)午後7時―午後9時半
場所: カフェano
     東京都渋谷区神宮前5−12−7 ワイス・ワイスビル
     03−5467−0861

講師: 山本良一氏(東京大学名誉教授、
             国際グリーン購入ネットワーク事務局長)
聞き手: 森 摂(オルタナ編集長)

参加費:4000円(ワンドリンク・軽食費込み)、ABC会員さまには割引があります。
     学生2000円

<お申し込み: こちらをクリック>

※締切日:12月3日(金)
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2010年11月01日

松下幸之助さんの「企業の社会的責任」

ふと編集部の書棚から「企業の社会的責任とは何か」
(松下幸之助著)を手に取った。

3年ほど前、松下電器(現パナソニック)の取材の時に
広報担当者からもらったものだ。

非売品で、昭和49(1974年)に出版されたものを
復刻したものだという。

CSR――企業の社会的責任という言葉が日本でも
話題になったのがわずか数年前だから、やはり
幸之助さんには先見の明があったということか。

いや、わざわざ英語でCSRと言わなくても、
日本の経営者は「社会的責任」をきちんと自覚していた
というべきだろう。

冒頭の章は「企業は社会の公器」。
「それぞれの企業が社会的責任を果たすべく
努力していくならば、それは社会全体の福祉の向上にも、
また企業自身の発展にも結びついてくると思います」

これは、ドラッカー『マネジメント』第16章
社会的責任はどこに生まれるか――
「現代の組織は、それぞれの分野において、社会に
貢献するために存在する。それは、社会のなかに存在
する。(中略)したがって、組織が社会に対して与える
影響は、それぞれが自らの存在理由とする社会に対する
貢献にどどまることがない」という記述と軌を一つにする。

昭和40年代という時代背景を映して、
「公害の防除と絶滅」という章もあった。

ここでは、
「自由な競争のもとに企業活動が営まれている自由主義
社会では、企業にとって世間の信用を失うということは、
すなわち競争に敗退することであり、いわば致命的な
ことです。もし、企業にその社会的責任に反するような
行為があれば、それは必ず世間の信用につながり、企業
自身に大きなマイナスになってはね返ってくるわけです」

とても明快な論理であるし、言わずもがな、である。
これは公害だけではなく、さまざまな企業行動の局面で
あてはまる問題だ。

なぜ、大企業ほど、コンプライアンスや企業倫理を言わ
なければならないのか。幸之助さんが生きていれば、
はがゆい思いをしたかも知れない。

「蛇口をひねれば出てくる水のように豊富に商品を供給
すべき」だという「水道哲学」は、先進国においては、
やや色あせた感があるが、BOP(ベース・オブ・ピラミッド、
途上国向けビジネス)の分野ではまだ生きるかも知れない。

この本は、40年後の今もなお、社会と企業の根本的な
関係を示唆してくれている。書店での販売を検討して
ほしい一冊でもある。(オルタナ編集長 森 摂)


posted by setsumo at 22:51| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

COP10(名古屋)とCOP16(カンクン)のはざまで

名古屋でのCOP10(第10回生物多様性条約締結国会議)が
終わり、「名古屋議定書」と「愛知目標」が採択されました。

その評価は今後、オルタナの誌面やウェブでも取り上げていきますが、
そもそも、生物多様性条約のCOPも、気候変動枠組み条約の
COPも、原点は同じだということをご存知でしたでしょうか。

それが1992年の「リオサミット」だったのです。

2012年には、リオサミット20周年を記念して、
再びリオデジャネイロでサミットが開かれます。

1992年、当時わずか12歳の少女、セヴァン・スズキさん
(日系4世のカナダ人)さんのスピーチは感動的でした。
http://www.youtube.com/watch?v=C2g473JWAEg

引用します。
「死んだ川にどうやってサケを呼びもどすのか、
あなたは知らないでしょう。絶滅した動物をどうやって
生きかえらせるのか、あなたは知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって
森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。

どうやって直すのかわからないものを、
こわしつづけるのはもうやめてください。

ここでは、あなたたちは政府とか企業とか団体とかの
代表でしょう。あるいは、報道関係者か政治家かもしれない。
でも本当は、あなたたちもだれかの母親であり、
父親であり、姉妹であり、兄弟であり、おばであり、
おじなんです。そしてあなたたちのだれもが、だれかの
子どもなんです」

――あれから20年後、COP10とCOP16のはざまで
私たちは何をしなければならないのか、問われています。

posted by setsumo at 21:33| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月09日

HOME―空から見た地球 希望のナレーション

「HOME―空から見た地球」希望のナレーション

いま「HOME――空から見た地球」を
日本に広めようと頑張っている人たちがいます。

写真家のヤン・アルテュス・ベルトランが監督した
空撮のドキュメンタリー映画で、地球の美しさと
人間の営みを淡々と描く、環境映画です。

リュック・ベッソンがプロデュースをしたそうです。

この映画の国内配給元は、映画館での興行は
採算面での理由から、しないという判断をしたそうです。

このままでは、この映画は日本では、少数の目に
触れただけで、闇に葬り去られようとしています。

また、YouTubeでは、英語版、フランス語版が
あるのに、なぜか日本語版がないのも不思議です。

そんな状況の中、上映委員会は力を合わせて
頑張っています。皆さんも応援してください。

この映画のナレーションは、なかなか良くできているので、
ここに貼り付けます。


◆HOME―空から見た地球 希望のナレーション

代償は高くつきます。責任もないのに支払っている人がいます。

砂漠には町のように大きな難民キャンプがあります。明日は何人の人が道端に取り残されるのでしょうか?

このまま一握りの人間の幸せを守り、大勢の人々を犠牲にし続けていいのでしょうか。

悲観している暇はありません。人は一人でも壁を倒せるのです。

現在世界の子供たちの8割が学校に行っています。

今までこれほど多くの人が教育を受けたことはありません。

貧しい国のレソトでは、どの国よりも教育に投資しています。

裕福な国カタールは有名大学を誘致しました。

文化や教育は尽きることのない資源です。

苦しむ人がいる現場で多くのNGO活躍し、連帯の力を証明しています。

バングラディシュでは、貧しい人しか貸さない銀行ができ、30年で1億5千万の人生をかえました。

南極にはどこの国のものでもない資源が眠っています。

ここは平和と科学にささげられた自然保護区、49ヶ国が調印した条約によって人類全体が分かち合う財産です。

現在各国政府が保護する海は全体の2%、10年前に比べれば2倍以上です。

自然公園が出来てからまだ100年、しかし今では全大陸の13%以上を占めています。

そこでは生物の種を守る活動が始まっています。

人間と自然との調和は世界のルールとなるかもしれません。

ニューヨークでは、森や湖が市の必要とする飲み水をすべて供給してくれます。

韓国の森は戦争で損害を受けましたが、森林再生計画で国土の65%にまで回復しました。75%以上の紙がリサイクルされています。

コスタリカは軍備より国土の保護を選び軍隊を放棄しました。その資金を教育やエコツーリズム・森林保護に与えています。

木材の輸出国ガボンでは1ヘクタールにつき1本しか伐採しません。

森に再生する時間を与える為です。このような森林管理が義務化されるべきです。

フェアな貿易で消費者と生産者、買い手と売り手が両方が利益を得られれば、みんながうまくいきまともに暮らすことが出来ます。手作業で収穫するしかない人と、機械で収穫する人々との間にどうしたら公平が存在するのでしょうか?

知恵のある消費者になりましょう。自分がどんな物を買っているか考えるのです。

悲観している暇はありません。

機械に頼らない農業でも人が食べる分なら食料を生産できるでしょう。

取りすぎないように気をつけている漁師もいます。

自家発電の家もあります。

ドイツのフライブルグでは5千人が世界初の環境地区に暮らしています。

ムンバイもこのプロジェクトに加わりました。

ニュージーランド・アイスランド・オーストリア・スゥエーデンの政府は再生可能なエネルギー源の開発を進めています。

私たちが消費するエネルギーの80%は化石燃料による物です。

中国だけでも毎週2つの新たな発電所が建設されています。

しかしデンマークでは二酸化炭素を大気中でなく地中に放出する発電所を試作しました。これが未来の姿になるのでしょうか。

アイスランドでは地熱を利用した発電所が実現しました。

波の力を利用して発電する方法も開発されています。

デンマーク沿岸では国の電力の20%を風力で発電しています。

アメリカ・中国・インド・ドイツ・スペインは再生可能エネルギーに出資、250万人以上の雇用を創り出しました。

地球上で風の吹かない場所があるでしょうか。

砂漠地帯に設置されたソーラーパネル、すべては繋がっています。

地球は太陽と繋がっています。人間も植物のようにそのエネルギーを生かすのです。

1時間で太陽が地球に与えるエネルギーは全人類が1年間で消費する量と同じです。

太陽エネルギーが途絶えることはありません。

地面を掘るのをやめて空を見上げ太陽の恵みを取り入れましょう。これは人類にとって新しい冒険です。冒険の武器は節度と知性、そして分かち合うという意識です。

今こそ団結するときです。

重要なのは何を失ってしまったかでなく、何が残っているかです。

まだ、世界の半分は森で、何千もの川や湖があります。そして何千もの生物が存在しています。

私たちは解決策がそこのあることを知っています。私たち全体が変える力を持っています。

今すぐに行動するのです。

この物語の先をどう描くかは、私たち次第です。

さあ一緒に!!
posted by setsumo at 21:53| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月07日

クローズアップ現代「日本の森林が買われて行く」

きょう、NHKで「クローズアップ現代」で
「日本の森林が買われて行く」という特集を
やったそうですね。

いまアース・ワーカーというパネルディスカッションに
出演中ですので、僕は見られませんでした。

どなかた、見られた方は感想をコメント欄に
書き込んで頂けたら幸いです。 オルタナ森


2010年 9月 7日(火) 総合19:30〜19:56放送
日本の森林が買われていく
http://www.nhk.or.jp/gendai/
posted by setsumo at 20:08| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月05日

「中国人が日本の森を買い漁る」という都市伝説

米国のSnopes.com (http://snopes.com)
アメリカ人なら知らない人はいないほど有名なサイトで、
米国の「都市伝説」とその真偽を大量に列挙しています。

もしこのサイトが日本にあるなら
取り上げられる可能性が高いのが、
「最近、中国人が日本の森を買い漁っている」という
ウワサです。

単なる噂ならまだ良かったのですが、それを
産経新聞(今年3月29日付け)
日本経済新聞(今年6月26日付け)
など大手メディアまでが
取り上げてしまったのだから、始末が悪いのです。

産経新聞の記事は、
「日本の森と水 むさぼる外資」と題し、
「全国各地の水源に近い山林について、中国などの
外国資本が買収の打診をしてきていることが東京財団が
まとめた調査報告書で明らかになった――と報じています。

どうやら、出所は東京財団の政策提言
『日本の水源林の危機』〜グローバル資本の参入から
「森と水の循環を守るには」〜 のようです。
http://www.tkfd.or.jp/topics/detail.php?id=118

この提言のプロジェクトリーダーは
『奪われる日本の森―外資が水資源を狙っている―』
という本を出しています。

版元である新潮社のサイトには、
下記のような刺激的なコピーが並んでいます。
http://www.shinchosha.co.jp/book/323741/

◆このままでは、日本の国土全体が中国人や欧米人のものに
 なってしまう!?
◆価格が暴落した山林の売買取引が活発化している背後には、
 今後の世界的な水資源争奪戦を見越しての水源林獲得
 という狙いが見え隠れする。
◆ルール整備のなされていない今のままでは国土は簡単に
 グローバル資本によって買い占められる。生命の源の危機が
 日本人の喉元にまで及んでいる


これらの記事や書籍の論理展開は、
1)中国人が日本の森林を買収しにやってきたという話がある
2)中国では水不足が深刻であり、水源の確保が急務である
3)よって、中国人は水資源を確保するために、日本の森を
  狙っている。
――という極めて単純な三段論法です。

だが、本当にそうなのでしょうか。

筆者(オルタナ森)は真偽を確かめるために、
全国森林組合連合会(全森連)の幹部に会ったときに、
問い合わせをしたところ、下記のような答えを頂きました。

「全森連も同様の噂を聞いたため、全国の森林組合を
通じて調査しました。しかし、そのような事実は一件も
出てきませんでした」

林野庁広報室も、この種の噂を完全に否定していました。

東京財団のレポートも産経新聞も、明確に中国人が
日本の森を買ったという事実を、一件もつかんでいません。

これらの記事は、少なくとも、「裏が取れている」情報では
ないようです。

そもそも、中国が必要としている「水」の大半は
農業用水と工業用水であり、ペットボトルを一生懸命
つくって中国に輸出しようという、そんな可愛いレベルの
ものではありません。

農業用水や工業用水のような規模の水は、
海外から、船を使って輸入しても
到底、採算が合わないのです。

仮に、中国が日本の水源林を確保したとしても、
日本からの水輸出を禁止するか、輸出に高関税を
課す法律をつくるだけで予防措置は取れます。

私は、これらの噂が、必要以上に中国を脅威だと
煽り立てる、質が良くない「都市伝説」であることを
とても危惧します。

私自身は中国人の友人はほとんどおらず、
とても「親中」と呼んで頂けるような存在ではありません。

しかし、最近の中国の経済力や技術力を正当に評価する
ことなく、「何をするか分からない国」としか見ずに、
思考停止してしまう、今の日本の言論を非常に危惧します。

むしろ、問題は私たちにあるのです。

全国森林組合連合会(全森連)の幹部の方は、このようにも
言及していました。

「おそらく、今のように日本の森林が放置されている状況では、
いつ中国が買いに来てもおかしくないという懸念が、噂として
広がったのでしょう」

日本の木材自給率は24%しかありません。
食料自給率より遥かに低いのです。

消費者も住宅メーカーも家具メーカーも、
もっと国産材に目を向けるべきです。

しかも、水源林が狙われていると騒ぐ割には、
日本の水道水には見向きもせずに、海外からの
ペットボトルの水をガブガブ飲んでいる――
まさに本末転倒です。

東京財団のレポートでは、水道インフラ(水道局)を
民営化して、欧米など海外の事業者に委ねる危険性も
指摘しています。

しかし、東京都などの自治体がアジアやアフリカでの
水道インフラ事業に乗り出す中で、
http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20100615/231601/
「日本は進出したいけど、海外企業に水道は任せたくない」
というのはエゴではないでしょうか。

このように、「日本の水源林」を巡っては、
普段の関心が非常に少ないにも関わらず、
根拠がない噂が飛び交う、という非常に
不幸な状況が続いています。

都市伝説でもなんでも、話の種になるだけでも
良しとしなければならないのでしょうか。









posted by setsumo at 17:45| 東京 ☀| Comment(6) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月28日

オルタナ編集長がオルタナ最新号を読む:マエキタミヤコさん「マエキタ流」/高橋がなりさん「偏差値75の農業」

「オルタナ」最新20号の連載、
マエキタミヤコさん「マエキタ」流の見出しは
「みんなで考えた環境政策、アッケラカンと知らせよう」。

もうすでに「マエキタ節」とも言える文体を確立された
マエキタさんの、楽しくて過激なコラムです。

そもそも政治家の本質ってなんでしょう――という
問いかけから始まります。

今回の民主党代表選をめぐる「騒動」を見ていても、その意を
強くさせられます。

小沢一郎さんが立候補したことに対して、相変わらず
大手メディアの批判・攻撃が続いています。

しかし、これに対して
「小沢一郎は検察が2度も不起訴にしているのに、
大罪を犯したかのような追求をメディアがするのはおかしい」
との論調も盛り上がって来ました。

オルタナ森も、そう思う一人です。

政治家が政党の代表選に出馬すること自体を批判するのは
明らかに行き過ぎ。政治家は、その執務内容において
最大限の責任を取るべきです。

           ◆

高橋がなりさんの「偏差値75の農業」の今号は
「野菜を嗜好品にするために」。

これは最高に面白い。

◆もしも乗用車がカローラだけで国民全員がカローラに
 乗っていたら、カローラは70万円くらいで買えただろう。
◆でも、それでは自動車業界の総利益は必ず下がっていただろう。
 理由は、ユーザーは自動車を必需品としてではなく、
 嗜好品として選択することが多いからだ。
◆ならば野菜もフェラーリのような嗜好品として取り扱うことが、
 農業全体の総売上・総利益を上げられるはず。
◆日本の生産技術は高いので、野菜のフェラーリは作れる。
 しかし、流通と販売にヒトと知識が伴っていない。
――という論調です。

イメージで言うと、東海道新幹線が全線「のぞみ」になって
しまって、東京―大阪間を移動するには非常に便利なのですが、
熱海に銀座のホステスと不倫旅行に行きたいオッサンや、
浜松にウナギを食べに行きたい大阪のオバちゃんには不便な
新幹線になってしまったという感じですかね――という表現も
面白かった。

では、また近々
タグ:高橋がなり
posted by setsumo at 20:26| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月15日

オルタナ編集長がオルタナ最新号を読む(2)映画「ザ・コーブ」上映中止に思う

オルタナ最新号(20号、7月30日発売)で田口ランディさんのテーマは
映画「ザ・コーブ」上映中止に思う――だった。

この問題は難しい。
私はまだ映画を見ていないが、トレーラーは見た。
(それだけで十分な気がする)

イルカ漁の残虐さ、非道さをハリウッド的な手法で、
ことさら扇情的に見せている映画だろう。

その中で、ランディさんの
「個人的な意見として、私はイルカ漁を認めたい」との
指摘に同意したい。

「弱肉強食による生態系によって地球環境のバランスが保たれている以上、この地上に食べてよいものと、食べて悪いものの区別はないはず。もし善悪が存在するとすれば、それは人間によってである」と彼女はその理由を指摘した。

この問題で残念だったのは、
例によっての街宣活動家が現れたことだ。

彼らの登場で、田口さんが提唱していた「議論の場」は全く封殺されてしまった。

イルカ漁の是非を問うことと、
上映中止を求めることは全く別の次元である。

映画を見る、見ないは個人の自由。
健全な議論は、それとは別にあってほしかった。

その意味で、映画上映の中止を決めた
明治大学当局の判断も残念であった。

それにしても、私を含めて、「大多数の日本人が
日本のスーパーで局地的にイルカが売られていることを
知らない」という事実も、改めて考えさせられた。

いつかイルカ漁をこの目で見てみたい。




















posted by setsumo at 22:46| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | オルタナ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オルタナ編集長がオルタナ最新号を読む(1)「享受型経済」から「参加型経済」への進化

今日から新企画、「オルタナ編集長がオルタナ最新号を読む」です。

オルタナ最新号は7月30日に全国の書店で発売され、好評発売中です。

第一回は、23ページ、田坂広志さんの「享受型経済」から「参加型経済」へ、です。

参加型経済とはプロシューマやアフィリエイトなど、今まで製品やサービスを享受するだけだった消費者が商品開発やマーケティングに参加することをさしています。

この原稿にあるように、プロシューマは1980年代にアルビン・トフラーが提唱した概念で、当時から話題を呼んでいた言葉でありました。


しかし、それから30年近くを経て、ネットの力で蘇ってきたというのは新鮮な見方です。

思い起こせば、ムジネットや「空想生活」の同様の動きは、その走りであったのでしょう。

最後に気になるフレーズ。

以下、引用)
しかし、この参加型経済への進化は、実は、これから始まるさらに大きな進化の序曲に過ぎない。
なぜなら、この「参加型経済」は社会における「民主主義」という言葉の意味を、根本から書き換えていくからである。
次回、そのことを語ろう。
(引用、終わり)

私には、それが何か、分かるような気がします。

当たっているかどうかは分かりませんが、
「ネット選挙運動」はその一つでしょう。
同じオルタナ連載陣のマエキタミヤコさんがやっている、
「議員のエコつうしんぼ」も関係があるかと思います。
(外れていたらごめんなさい)







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改めて「本業とCSR」の関係を問う――和菓子とCSR

このところ「CSRは本業を通じて実現するべき」という論が日本の経営者の間で大勢を占めるようになった。筆者も大筋において同意するが、これを曲解や言い訳に使う例も少なくない。改めて、「CSRと本業」について考えてみた。

「わが社は本業そのものが社会貢献、CSR(企業の社会的責任)活動です」という言い方をよく聞く。企業が本業そのものを社会貢献と呼ぶとき、
1)製品・サービスを通じて利用者の利便性を高める/不便を解決する
2)雇用や納税などを通じて、地域社会(進出国)に貢献する
3)調達先、委託先、取引先などと利益を分け合い、世界経済や地域経済に貢献する
――と、総じて三つの意味が込められていることが多い。

だが、残念ながら、これらはすべて「当たり前の」経済行為であり、ことさら「社会貢献である」と胸を張れるようなものではない。

1)の製品・サービスを通じて利便性を高める/不便を解決する――だが、すべてのビジネスは消費者・ユーザーのニーズに対応することによって成り立っているので(一部の官公需を除く)、利便性を高めるのは当然のことである。A社がそのニーズを満たすことができなければ、それに代わってB社が選択されるだけのことだ。

2)雇用については、一定規模以上のビジネスは一人でできない以上、人を雇うのはまず企業のニーズである。雇用によって社会責任を果たしているのではなく、あくまで企業側の都合で人を雇うのである。その証拠に、企業は業績が悪くなればリストラをする。社会的責任のためだけの雇用ではないことは明白だ。

納税については、個人に置き換えると簡単な話だが、「私は納税している」と威張る人はいない。納税は「教育」「勤労」と並んで、国民の三大義務の一つだからだ。法人も同じだ。他の企業と同じ責任を果たしているだけである。

3)調達先、取引先などステークホルダー(利害関係者)との利益配分についても、常識的な商習慣に基づく経済行為の一環であり、それをもって「社会貢献」とするのはやや無理がある。

ハーバード大学ビジネススクール教授のマイケル・ポーターは、企業の競争力・収益性を高めるためにもCSR活動が重要であると説いた。ピーター・ドラッカーは「21世紀のあらゆるビジネス・企業が社会的な存在になる」と予測した。

企業の社会貢献、CSR活動は突き詰めると、企業そのもののためなのである。

であるとすれば、なかなか軽々しく「本業がCSR」とは言えないのではないか。

では、何をもって企業の社会貢献と呼べるのだろうか。どんな行為が企業の
社会的責任を果たす活動と呼べるのだろうか。

もし本業がCSRと言ってよいビジネスがあるとすれば、その業務が何らかの社会問題を解決することを明確な目的にしている必要があろう。

もちろん、気候変動や貧困・格差、飢餓など地球規模の問題に力を尽くしている企業は数多い。それらを否定するものではもちろんない。

だが、「本業がCSR」であると自称するには、相当の自己抑制が必要であるはずだ。

逆説的な言い方だが、社会貢献をしていない企業も存在しない。どの企業も多かれ、少なかれ、何らかの社会貢献はしているはずだ。

そうでないと、社会にその存在を許してもらえなくなる。

近江商人の「三方良し」は、「三方良しでないと商いが続けられない」との戒めだと私は理解している。

こうしたことを考えると、やはりわざわざ自分で「当社は本業がCSRです」という必要はなくなる。

本業とCSRの関係については、「当社は、本業との関わりから、このような形の社会貢献・CSR活動をやっています」という形の文脈がもっとも理解されやすいだろう。

本業でなくても、創業の経緯や地域社会との縁など、企業と社会を結ぶコンテクスト(文脈)はたくさんある。

そのコンテクストが明確であればあるほど、その企業の環境・CSR活動は周囲からの理解を得やすくなる。明確でないと、理解されない。
エコビジネスをやっていれば環境に貢献しているのか。決してそうではないはずだ。

CSRの専門部署を社内に置けば、CSRをやっていると言えるのか。そうではないはずだ。

改めて振り返ると、「環境・CSR経営 世界ベスト77社」(オルタナ7号)、「環境・CSR経営 世界ベスト100社」(オルタナ18号)を掲載した時の基準が今でもわりに使えると思っている。

それは
1)創業者や経営者自身が、環境問題や社会貢献などについて高い意識を持ち、使命感がある。
2)ブームや時流に流されず、他社にはできない決断ができる
3)環境や社会貢献の取り組みを社是やミッションで明文化している
――の3点である。

そして、オルタナ18号の選考委員会で意見が一致した点としては
1)大企業を全社的なCSRで評価することはなかなか難しい。大企業はプロジェクトベースで評価すべきである。
2)創業者や経営者がどんな理念を持っているかで、その会社の環境経営度・CSR経営度が決まる。
3)いかに崇高な理念を持っていても、会社の基本的な仕組みができていないと評価しがたい。
――の3点だ。
 
「環境・CSR経営 世界ベスト100社」(オルタナ18号)の受賞企業の一つに、菓子製造・販売の「たねや」(滋賀県)がある。三越・銀座店にも店舗を置き、年商も170億円に達するが、その環境・CSR経営には定評がある。

この「たねや」のCSRはヨモギから始まったという。

同社は90年代半ばまで、ヨモギを他の地方から仕入れていたが、安全面からどういう経路に届いているのか、疑問を持った。ヨモギは身近な野草だが、河川敷や土手などに自生していることが多いため、農薬や除草剤を浴びる危険性も高かったという。

そこで97年に自社農園での無農薬栽培を始めた。「私たちは菓子の作り手だが、原材料をすべて社内で調達はできない。でも『食』の原点である『農』は大事にしたい」という思いがあった(同社の冊子「たねやのあんこ」から)。今ではヨモギ栽培のための雑草取りから収穫まで地元のお年寄りの手を借りている。

日本財団による第3回CSR大賞受賞企業(09年11月)の地域推薦部門(CSR活動について、地域のNPOセンター等により推薦された企業)で銀賞を取ったのは、株式会社柏屋(福島県)という和菓子屋さんだ。

創業158年、薄皮饅頭で知られる「柏屋」は、地域の子どもたちから詩を募り、それを児童詩誌で地域に広める「青い窓」という活動を昭和33年から続けている。

ホームページには、「おかあさんのポケットは、家族みんなのもの。」「私たちの会社のポケットは、社会みんなのもの。お店も、朝茶会も、青い窓も、そして萬寿神社も…。」と書いてある。

日本財団は「企業は社会のために何ができるかを、この詩から学び、それを実践している企業姿勢は、取り立ててCSRと言わなくても、企業が社会に対してできることを当たり前に実践している」と評価している。

ここまで書いて、たねやや柏屋のようなお菓子屋さんが相次いでCSRの賞を受賞するのはなぜだろうか、とふと思った。

和洋菓子を問わず、お菓子屋さんとは、本来的に、地域密着型の商いの典型だ。今でこそ様々なチェーン店が増えたが、それでも一定規模以上の商店街なら、地元のお菓子屋さんが必ずある。

そして、お菓子屋さんは消費者との距離が極めて短い。
「たねやのヨモギ」で分かる通り、顧客の口に入るものをつくる責任感と、顧客の喜びをじかに触れる商いであるからこそ、顧客や地域社会との関わりを重視する経営者が多いのだろう。

ひるがえって、不二家、赤福餅など不祥事を起こしたお菓子屋さんでは、一時的にせよ、企業と顧客との距離が遠くなってしまった、と見てよい。
たねやの地元は近江商人の発祥の地でもある。近江商人といえば「三方良し」が有名だが、それだけではない。

この地には「先義後利」という言葉がある。利益うんぬんより、まず先に人としての道である義理が大切。利潤はその後の結果とするものだ。

世間にも顧客にも誠実に、顧客第一の商いに精進するとともに、地域との連携を広げながら、常に地元との共生をはかる方向で事業展開しているという。

逆に言うと、顧客や地域社会との健全な関係がなければ企業としての存続が許されないという、極めて高い危機感が経営を裏打ちしている。

この考え方は、CSRの世界でいう「トリプル・ボトムライン」――企業活動の環境的側面、社会的側面、経済的側面の3つを問う考え方――や、「ライセンス・トゥ・オペレート」(操業許可)と共通するものを感じる。

企業や創業者が信用を築き上げることは一朝一夕では出来ない。だが、それを失うことは、一瞬にして、いとも簡単にできる。この辺りを、多くの和菓子屋さんが教えてくれている気がしてならない。

本業とCSRの関係は、日本では上記の和菓子屋さんの例が分かりやすい。正確に言うと、和菓子屋さんの中で、CSRをきっちりやってこれたお店が大きくなり、企業になったのだと思う。

ドラッカーが言う「社会に存続を許される」こととは、まさに本業を通じて地域社会に貢献し、顧客や社会から「操業許可」をもらうことなのである。



posted by setsumo at 15:41| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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