このところ「CSRは本業を通じて実現するべき」という論が日本の経営者の間で大勢を占めるようになった。筆者も大筋において同意するが、これを曲解や言い訳に使う例も少なくない。改めて、「CSRと本業」について考えてみた。
「わが社は本業そのものが社会貢献、CSR(企業の社会的責任)活動です」という言い方をよく聞く。企業が本業そのものを社会貢献と呼ぶとき、
1)製品・サービスを通じて利用者の利便性を高める/不便を解決する
2)雇用や納税などを通じて、地域社会(進出国)に貢献する
3)調達先、委託先、取引先などと利益を分け合い、世界経済や地域経済に貢献する
――と、総じて三つの意味が込められていることが多い。
だが、残念ながら、これらはすべて「当たり前の」経済行為であり、ことさら「社会貢献である」と胸を張れるようなものではない。
1)の製品・サービスを通じて利便性を高める/不便を解決する――だが、すべてのビジネスは消費者・ユーザーのニーズに対応することによって成り立っているので(一部の官公需を除く)、利便性を高めるのは当然のことである。A社がそのニーズを満たすことができなければ、それに代わってB社が選択されるだけのことだ。
2)雇用については、一定規模以上のビジネスは一人でできない以上、人を雇うのはまず企業のニーズである。雇用によって社会責任を果たしているのではなく、あくまで企業側の都合で人を雇うのである。その証拠に、企業は業績が悪くなればリストラをする。社会的責任のためだけの雇用ではないことは明白だ。
納税については、個人に置き換えると簡単な話だが、「私は納税している」と威張る人はいない。納税は「教育」「勤労」と並んで、国民の三大義務の一つだからだ。法人も同じだ。他の企業と同じ責任を果たしているだけである。
3)調達先、取引先などステークホルダー(利害関係者)との利益配分についても、常識的な商習慣に基づく経済行為の一環であり、それをもって「社会貢献」とするのはやや無理がある。
ハーバード大学ビジネススクール教授のマイケル・ポーターは、企業の競争力・収益性を高めるためにもCSR活動が重要であると説いた。ピーター・ドラッカーは「21世紀のあらゆるビジネス・企業が社会的な存在になる」と予測した。
企業の社会貢献、CSR活動は突き詰めると、企業そのもののためなのである。
であるとすれば、なかなか軽々しく「本業がCSR」とは言えないのではないか。
では、何をもって企業の社会貢献と呼べるのだろうか。どんな行為が企業の
社会的責任を果たす活動と呼べるのだろうか。
もし本業がCSRと言ってよいビジネスがあるとすれば、その業務が何らかの社会問題を解決することを明確な目的にしている必要があろう。
もちろん、気候変動や貧困・格差、飢餓など地球規模の問題に力を尽くしている企業は数多い。それらを否定するものではもちろんない。
だが、「本業がCSR」であると自称するには、相当の自己抑制が必要であるはずだ。
逆説的な言い方だが、社会貢献をしていない企業も存在しない。どの企業も多かれ、少なかれ、何らかの社会貢献はしているはずだ。
そうでないと、社会にその存在を許してもらえなくなる。
近江商人の「三方良し」は、「三方良しでないと商いが続けられない」との戒めだと私は理解している。
こうしたことを考えると、やはりわざわざ自分で「当社は本業がCSRです」という必要はなくなる。
本業とCSRの関係については、「当社は、本業との関わりから、このような形の社会貢献・CSR活動をやっています」という形の文脈がもっとも理解されやすいだろう。
本業でなくても、創業の経緯や地域社会との縁など、企業と社会を結ぶコンテクスト(文脈)はたくさんある。
そのコンテクストが明確であればあるほど、その企業の環境・CSR活動は周囲からの理解を得やすくなる。明確でないと、理解されない。
エコビジネスをやっていれば環境に貢献しているのか。決してそうではないはずだ。
CSRの専門部署を社内に置けば、CSRをやっていると言えるのか。そうではないはずだ。
改めて振り返ると、「環境・CSR経営 世界ベスト77社」(オルタナ7号)、「環境・CSR経営 世界ベスト100社」(オルタナ18号)を掲載した時の基準が今でもわりに使えると思っている。
それは
1)創業者や経営者自身が、環境問題や社会貢献などについて高い意識を持ち、使命感がある。
2)ブームや時流に流されず、他社にはできない決断ができる
3)環境や社会貢献の取り組みを社是やミッションで明文化している
――の3点である。
そして、オルタナ18号の選考委員会で意見が一致した点としては
1)大企業を全社的なCSRで評価することはなかなか難しい。大企業はプロジェクトベースで評価すべきである。
2)創業者や経営者がどんな理念を持っているかで、その会社の環境経営度・CSR経営度が決まる。
3)いかに崇高な理念を持っていても、会社の基本的な仕組みができていないと評価しがたい。
――の3点だ。
「環境・CSR経営 世界ベスト100社」(オルタナ18号)の受賞企業の一つに、菓子製造・販売の「たねや」(滋賀県)がある。三越・銀座店にも店舗を置き、年商も170億円に達するが、その環境・CSR経営には定評がある。
この「たねや」のCSRはヨモギから始まったという。
同社は90年代半ばまで、ヨモギを他の地方から仕入れていたが、安全面からどういう経路に届いているのか、疑問を持った。ヨモギは身近な野草だが、河川敷や土手などに自生していることが多いため、農薬や除草剤を浴びる危険性も高かったという。
そこで97年に自社農園での無農薬栽培を始めた。「私たちは菓子の作り手だが、原材料をすべて社内で調達はできない。でも『食』の原点である『農』は大事にしたい」という思いがあった(同社の冊子「たねやのあんこ」から)。今ではヨモギ栽培のための雑草取りから収穫まで地元のお年寄りの手を借りている。
日本財団による第3回CSR大賞受賞企業(09年11月)の地域推薦部門(CSR活動について、地域のNPOセンター等により推薦された企業)で銀賞を取ったのは、株式会社柏屋(福島県)という和菓子屋さんだ。
創業158年、薄皮饅頭で知られる「柏屋」は、地域の子どもたちから詩を募り、それを児童詩誌で地域に広める「青い窓」という活動を昭和33年から続けている。
ホームページには、「おかあさんのポケットは、家族みんなのもの。」「私たちの会社のポケットは、社会みんなのもの。お店も、朝茶会も、青い窓も、そして萬寿神社も…。」と書いてある。
日本財団は「企業は社会のために何ができるかを、この詩から学び、それを実践している企業姿勢は、取り立ててCSRと言わなくても、企業が社会に対してできることを当たり前に実践している」と評価している。
ここまで書いて、たねやや柏屋のようなお菓子屋さんが相次いでCSRの賞を受賞するのはなぜだろうか、とふと思った。
和洋菓子を問わず、お菓子屋さんとは、本来的に、地域密着型の商いの典型だ。今でこそ様々なチェーン店が増えたが、それでも一定規模以上の商店街なら、地元のお菓子屋さんが必ずある。
そして、お菓子屋さんは消費者との距離が極めて短い。
「たねやのヨモギ」で分かる通り、顧客の口に入るものをつくる責任感と、顧客の喜びをじかに触れる商いであるからこそ、顧客や地域社会との関わりを重視する経営者が多いのだろう。
ひるがえって、不二家、赤福餅など不祥事を起こしたお菓子屋さんでは、一時的にせよ、企業と顧客との距離が遠くなってしまった、と見てよい。
たねやの地元は近江商人の発祥の地でもある。近江商人といえば「三方良し」が有名だが、それだけではない。
この地には「先義後利」という言葉がある。利益うんぬんより、まず先に人としての道である義理が大切。利潤はその後の結果とするものだ。
世間にも顧客にも誠実に、顧客第一の商いに精進するとともに、地域との連携を広げながら、常に地元との共生をはかる方向で事業展開しているという。
逆に言うと、顧客や地域社会との健全な関係がなければ企業としての存続が許されないという、極めて高い危機感が経営を裏打ちしている。
この考え方は、CSRの世界でいう「トリプル・ボトムライン」――企業活動の環境的側面、社会的側面、経済的側面の3つを問う考え方――や、「ライセンス・トゥ・オペレート」(操業許可)と共通するものを感じる。
企業や創業者が信用を築き上げることは一朝一夕では出来ない。だが、それを失うことは、一瞬にして、いとも簡単にできる。この辺りを、多くの和菓子屋さんが教えてくれている気がしてならない。
本業とCSRの関係は、日本では上記の和菓子屋さんの例が分かりやすい。正確に言うと、和菓子屋さんの中で、CSRをきっちりやってこれたお店が大きくなり、企業になったのだと思う。
ドラッカーが言う「社会に存続を許される」こととは、まさに本業を通じて地域社会に貢献し、顧客や社会から「操業許可」をもらうことなのである。